反原発だけでは困るのだ

流行りの原発について色々と自分なりに考えたことをまとめる。

まず、原発はなくなって欲しい。
しかし、もうすでに沢山作りすぎた。
多すぎる。
この狭い国土に50基以上とか、大変な数だ。片付けるにしても恐ろしい数だと思う。

今回のフクシマの事故の被害は甚大で、計り知れないだろう。毎日あちこちで聞かれるニュースに人々は放射線アレルギーになっていく。言葉は悪いが、ヒステリックに反原発を唱える人が増えていく。

それを見ているとちょっと冷めてしまった。
ちょっと、なにかがおかしい。

なるほど、おかげでこれから原発は新設されることはないだろう。これには大賛成だ。
でも、今動いている奴、よくわからんけど止まってる奴も、廃炉にするには膨大な金と手間、そして高い技術を要する。
中途半端な技術で弄ったり、ずさんな管理をすると、いずれ必ず大変な事故を起こしかねない。
今後は、必ず効率良く古い原発を処理する技術が必要になることを考えてみて欲しい。
こんな鼻つまみなジャンルになってしまった原子力工学に若い科学者が増えるとは思わないが、いずれにしろ技術は必要なのだ。

だいたい資源が無いと言われ、ネゴシエーションも下手な日本がここまでやって来たのは技術と勤勉さだったと思うし…
そう、技術は重要なんだ。

昨今のヒステリックな反応が広がっていくのを見ていると
大戦中の日本が敵国の言葉「英語」を使うのを禁じていて、野球用語さえも漢字で言い換えたエピソードを思い出して

なんだか情けなーい気持ちになる。
本気で戦うのなら敵(※戦争じゃなく、原子力ね)の事を詳しく知らないと駄目じゃん。

原子力って聞くだけで毛嫌いして済む話じゃないだろう。そんなの思考停止も甚だしい。

いずれ必要になるのは原子力を収束(無くすために)させる革新的な技術だ。
これは紙一重で難しくて、ひとつ利用法を間違えば推進派へと舞い戻ってしまうかもしれない。
ここが超超超重要だ。
僕だって、断じてそれだけは避けたい。
だから先に政治的なイシューが必要になる。政治が率先して何年も先の目標を掲げてくれないと無理だ。
でないと少なくとも僕は「Yes」といえない。


自分でも書いていて矛盾したことを言っているように見えるが・・・


これだけは言える

簡単に「反原発」なんて言えるほど、浅いところに日本は居ない。それを早く認識すべきだ。

そして、今まで無知だったこととか、電気を使っていたことに反省なんてしなくて良い。
そんなのどうでもいい。それは反省の向こうに、拒絶派への免罪符を求める逃げ道にも見えるから。
最初、僕もそうだったけど、今はもう嫌だ。

これからも原発とともに生きて行くことを考えて行ったほうがいいと思う。

子供たちへの、とか、未来のための、とか、世界の中の日本として・・・

とかそんな体の良いフレーズは別にいらない。

これは、ただの現実だ。
それでしかない。
「That's All I've never need.」