電力について、信じること、信じられること、または信じているフリ

今度は関西、西日本で電気不足のようですね。

政府、関西電力管内での10%節電を決定

疑り深い僕には電力会社が「原発が無いとこうだよ!」って脅しているようにしか見えないのですが、どうなんでしょうね。

私企業による自家発電の供給力(いわゆる埋蔵電力)があって、それらを各電力会社が買い取れると原発は不要になるっていう意見もありますし。
色々と情報を見ていると節電の要請がどうにも嘘っぽく見えます。

あまりこんなこと言ってたら、そのうちエネ庁(↓)に目をつけられてしまいそうですね。

エネ庁が原発報道監視/税金使い「不適切情報」収集

エネ庁が税金で、原発に対するTwitterなどの問題発言を監視するっていう話です。なかなかセンセーショナルな内容なのですが、いかんせん赤旗なので全国的なスクープにはならないのかな?(もうなってるか)

まぁ、こんな冗談はさておき
納得できないのは電気を売るのが仕事の会社が、電気が無いからってこの処置を我々に求めるのかというところ。
誰かも言っていたけど、車を売る商売のトヨタが売る車が無いからって国民に協力を要請したりするのかしら?
それは「ありえへん。」ですよ。

一歩譲って電力は国民生活にとって変えられないものだから、個々の協力はします。だとしても
関西・中部電力は詳しい電力使用量(内訳)を開示していないという話も聞いたことがありますし、情報開示しないのに節電をお願いしますっていわれても、それは無茶です。
このあたりを監査する第3者機関があればいいんだろうなぁって思うのですが日本には無いそうですね。
日本には無いという言い方は、きっと西欧の国にはあるんだろうなぁ、ってこと。
コレは私見ですが、欧米人の考え方として「人間」について諦めている(理解している)というのが社会の仕組みにあらわれていると思う。

例えば、役人と企業に関する定義として

 ・政府・官僚は本来汚職をするもの
 ・企業は金儲けを目的とするもの(なのでときには安全でないものを作る)

極論ではありますがこれを大前提にしたら、何か重要な判断の時は第3者機関が絶対に必要になりますよね。
で、何か重要なことを決めるときはその第3者機関にも同席してもらってジャッジしてもらうわけです。
で、ジャッジされる仕組みがあるから皆、ルールを守るっていう仕組み。
これだと我々国民でも信じられそうですよね。納得できそうですよね。

っていうか、なんでこういうシステムがないのでしょう?
無いのになんで、国民の皆さんは15%節電とか信じてしまってるんでしょう。
三権分立ってなんなのでしょう?
なんといい加減でアンポンタンな民主主義なんでしょう。

呆れて頭が痛くなります。

とは言っても小市民ですから、エアコンと炊事用家電のご家庭の節電ぐらいはやってますけどね。

もうちょっと生きがいのある国になってほしいな、と常々思っております。